日本の学校はバカの養成機関であり、意図的にバカを量産している
バカは想像以上に増えている
あなたはゆとり世代という言葉を聞いたことがありますか?このゆとり世代とは悪名高き ”ゆとり教育” のすばらしい成果を象徴した言葉です。このゆとり教育のおかげで、今の若者には学力最低で、思考力ゼロのどうしようもないバカが増えているのです。代表的なのが 「分数のできない大学生」 です。いろんなメディアに取り上げられて本にもなっているので一度は聞いたことがあるでしょう。彼らの知力の無さには感心すらしてしまうものでした。勉強していたことを一時的に忘れていたというものではなく、本当に計算ができなかったのです。分数の足し算で分母を足してしまったり、小数点を2つ書いたりと、算数の基礎を全く理解しておらず、まるでお笑いを見ているかのような答えを自信たっぷりに回答する姿にはあきれを通り越して感心すらしてしまうでしょう。世の中には想像をはるかに超えるほどのおバカが存在しているのです。
上の図は日本地理学会によって行われたメディアによく登場する10カ国(米国、インド、ブラジル、北朝鮮、フランス、フィンランド、ケニア、スイス、ベトナム、イラク)、及び日本の10都県(東京都、長野県、秋田県、石川県、愛知県、栃木県、奈良県、島根県、愛媛県、宮崎県)について、全国の大学生、高校生に地図上の位置を答えてもらう調査の結果です。
この結果をみて、一瞬正答率と勘違いしてしまう人もいたのではないでしょうか?高校生では75%、大学生は50%もの人がイラクの位置がわかっていないのです。イラクといえば2003年からの泥沼のイラク戦争でいやでも頭に刻み込まれてしまう印象の強い国です。中央アフリカ諸国やカリブ諸国のような印象の小さい国ではないのです。現にイラクでは日本人も何度も拉致され、2004年には香田さんが首を切断される惨殺事件まで起こっている最悪の印象がある場所です。そんな印象が強い国のことがわからない人がこれほどまで多いのです。
バカを量産している日本の学校
上記のように若者のバカさ加減には驚くばかりでしょう。これはもう、若者のレベルが下がったとかそういった個人の問題ではありません。 「最近の若い奴は・・・」 とかお説教するレベルの問題をすでに通り越して日本国全体をゆるがす社会問題になっているです。このようなバカで思考力が無いまま社会へ出てしまう若者たちは、今若年層のワーキングプアや偽装請負など非常に厳しい環境におかれています。
しかしそんな状態にも関わらず、日本の学校はたとえ卒業する生徒が分数がわからなくてもイラクの位置がわからなくても、学校を卒業させて大学に入学させてしまったり卒業させてしまったりしています。このように、知識も知恵もなく、思考力ゼロのまま社会へ放り出された若者のことを、自分の無知の重大性をわからず楽観視していることを皮肉って 「元気のよいバカ」 と称されます。では、どうして日本の学校はこれほどまでにバカを社会へ送り出すようになったのでしょうか?それは一部の人間にとってバカが世の中に増えれば増えるほど、非常に都合が良くなるからです。
なぜ元気のよいバカを作るのか?
なぜここまでバカが増えているにもかかわらず日本の学校は改革されないのか? なぜ日本の学校はバカを量産しているのか? 結論を先に述べてしまいましょう。それは帝王学の観点から
バカが増えると支配者にとって都合がよい
ということがあるためです。ここでいう支配者とは今の日本を支配している政府や大企業ということです。つまりバカな人間がどんどん社会に出てくれば、そういったバカな人間を一生使い捨ての労働力としてコキ使うことができて支配者にとって都合がよいということが根本にあるのです。このようなバカな人間たちは、ゆとり教育のおかげで最低限の ”よみ、かき、計算” は身についていますが、労働に関する法律やマネーに関する知識が著しく欠けています。その上、主体性が全くなく思考力もないために、低賃金でコキ使っても全く反抗することもなく従順に働くのです。実に都合がいい存在です。「何をふざけたことを!」 と怒る方もいらっしゃるでしょうが、アメリカのニューヨーク州最優秀教師であるジョン・テイラー・ガット著の 「バカをつくる学校」 において、義務教育が支配階級の都合のよいように作られていることが述べられています。
支配者にとって都合が悪いので学校で金儲けを教えません
ジョン・テイラー・ガット氏は教育制度を痛烈に批判しています。義務教育制度がチャイムによる集中力と思考の分断、まとまりのないパッチワークのような時間割、年齢による区別、番号による機械的なクラス分け、教師の感情や評価への受動的依存、プライバシーの欠如、敗者だと自覚させる競争、絶え間ない監視、指示待ち人間の生産工場、同じように考えることのを要求、野菜を品定めするかのような成績主義、他人は誰も信用できないと教えること……といったように、子どもに主体性を持たせず、他人に依存的な人間にしようとしていると述べています。
では、主体性がなく他人依存型の人間は支配者にどのように役立つのか見てみましょう。
バカは一生奴隷として扱われる
それでは日本の支配者の側の人間がバカな若者をどのように捉えているのか簡単に説明しましょう。
非常に都合のいい存在
バカは勉強しません。主体性がないので自分からは絶対に勉強しません。必然的に知識や知恵が身につきません。そうなると容易にコキ使うことができます。労働契約などはちょっと難しい契約をしてしまえば理解できない・・・というより理解しようとしません。偽装請負などその典型的な例です。そして必要が無くなればカンタンに使い捨てることができます。そして必要になったらまた集めればいいのです。学校から次々と量産されているので、再び集めるのには苦労しないのです。支配者である企業にとっては実に都合のいい存在です。
完全にナメられている
このような人々は賃金制度のこともよくわかっていないので非常に低賃金のままコキ使われることになります。自分の賃金がどれぐらい搾取されているかわかっていません。ごまかし放題です。たとえ文句を言ってくるような奴が出ても、クビにして使い捨てればいいのです。考えないので反撃する知識も知恵もありません。すぐにやっかいばらいすることができて、そういう ”見せしめ” をすることで他の反乱を抑えることもできます。この見せしめはパナソニックの偽装請負のケースでも行われていました。
「そんなことない!」 と思いますか?あなたの手元にあるケータイを見てください。その携帯電話の料金がどうやって決まるかわかりますか?どうしてあんな複雑な料金制度になっているのかわかっていますか?料金制度を複雑にしてしまえば理解できないと思われているからです。完全にナメられているのです。事実理解できないまま、高いお金を払い続けるのです。
10年以上前からバカ作りは始まっていた
このようなバカをたくさん世の中へ出して使い捨て労働者として一生コキ使う傾向は、すでに10年以上前から大企業の間で暗黙の領域として認知されていました。1995年に日経連(日本経済団体連合会)が出した報告書 「新時代の『日本的経営』―挑戦すべき方向とその具体策」 には、その傾向を意図した驚くべき内容が掲載されています。
ー その内容の一部 ー
1995年はバブル崩壊で不景気に突入する真っ最中でした。
そのため、これまでの企業経営を転換する必要があると提言されていました。
つまり終身雇用や年功序列を主とする昭和の固定的な雇用形態から、
柔軟な雇用形態への転換をする必要があると述べられています。
その中では労働者を次の3つのグループに分けて、階級制度をつけることが示されています。
労働者の階級制度:
1. 長期蓄積能力活用型グループ…将来的に会社を背負う幹部候補エリートたち
2. 高度専門能力活用型グループ…高度な専門知識を有する技術系職人集団
3. 雇用柔軟型グループ…短期単純作業など会社の都合に応じて柔軟に雇用できる者たち
「1.」 は会社経営の根幹を成すグループ、つまり始めからエリートとして大事に育てていくことが決まっているエグゼクティブです。安部総理など三菱財閥関係者が通った成蹊学園、谷垣氏・橋本元総理・福田元総理・中川昭一氏・鈴木俊一氏など政界の著名人が通った麻布学園、そして麻生氏や天皇・皇族一族が通った学習院などのエリート私立学校で大事に育てられます。まぁ例外もたまにはいますが。
しかし 「3.」 は専門の知識は必要なく、いつでも使い捨てられる労働力のことです。1995年の時点ですでに、労働者を階級別にわけることがすでに決まっていたのです。そして 「3.」 に相当する労働者こそが、ゆとり教育から生み出された 「元気のよいバカ」 なのです。この元気のよいバカはゆとり教育のおかげで最低限の ”よみ、かき、計算” は身についていますが、労働に関する法律やマネーに関する知識が著しく欠けています。その上、主体性が全くなく思考力もないために、低賃金でコキ使っても全く反抗することもなく従順に働くのです。そのため大企業は、ゆとり教育から生まれた元気のよいバカを非常に重宝しました。ゆとり教育のおかげで大企業は一生コキ使えて、いつでも使い捨てることができる労働力を手に入れることに成功したのです。ゆとり教育は支配者にとって非常に都合がよいものでした。
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