アルゼンチンの財政破綻、国家破産の事例

アルゼンチンは富裕国から貧乏国に転落した

20世紀半ばまでアルゼンチンは富裕国だった


サッカーやタンゴのイメージが強いアルゼンチンですが、実は2度の世界大戦に関わらなかったことで大きなダメージを受けずに20世紀中盤までは世界の中でも富裕国であったことはあまり知られていません。

首都ブエノスアイレスは 「南米のパリ」 とも比喩され、街並みは南米というよりもヨーロッパのような景観でした。南米のリーダー的存在も、ブラジルではなくアルゼンチンだったのです。

このイメージが無いのは20世紀後半ごろから経済が低迷していったからです。

 

1980年代にハイパーインフレとデフォルトが既に起きてた


1960年頃にペロン政権が保護政策による工業化偏重政策を取りましたが産業構造の転換に成功せず経済は低迷し、2度に渡るオイルショックにより大きなダメージをうけて1982年には一度銀行債務のデフォルトを行なっていました。

さらに国民の不満を外に向けようと英国とのフォークランド戦争を起こしますが、知っての通りアルゼンチンの敗北に終わりました。

この結果経済に止めを刺すこととなり1988年には年率5000%のハイパーインフレを起こすなど、富裕国からの没落が進みました。長らく続く不況で多くの中産階級が貧困層に落ち、富裕層も海外へ流出するなど経済は混乱し続きでした。

ドルペッグ制によって復活し、ドルペッグ制により破綻する

ドルペッグ制によりインフレを抑えて安定


ボロボロだったアルゼンチン経済ですが1988年から親米・親IMF路線を掲げたメネム政権の新自由主義政策によりある程度復活を遂げます。ハイパーインフレに苦しんだ政府は大国アメリカのドルとのペッグ制(ドルペッグ制)を取り、通貨の安定をはかりインフレを抑えることに成功します。

さらにドル建ての債券を発行して予算を確保し、1990年代には年率9%にも達する経済成長を遂げるなど、アメリカドルさまさまのおかげで一時的に安定しました。

しかし公企業や天然資源(石油を含む)権利などを特売価格で外国投資家に売渡してしまうなど、外国に首根っこを捕まえられている状態でもあり、さらにドルペッグ制が逆にアルゼンチン経済を苦しめることになります。

 

ドルペッグ制により輸出競争力を失い不景気に


1999年、隣国ブラジルで通貨切り下げが起こり、またしてもアルゼンチン経済は窮地に追い込まれます。ブラジルとアルゼンチンは共に自国通貨レアルとペソで対米ドルペッグ制を取っていました。

ペッグ制により通貨の安定を図っていたのですが、投機筋による売り崩しでブラジルがレアルを切り下げます。すると相対的にアルゼンチンペソは通貨高となり、輸出先の大半をブラジルに依存してた経済は輸出競争力を失います。

日本が円高で苦しんだことと同様です。本来なら経済に打撃が与えられればその国の通貨は下落しますが、アルゼンチンは海外から投資をする外国人投資家の投資のしやすさを重視しペッグ制を維持します。

結果的に通貨高による経済の悪化を招きます。政府はペソの金利を上げて通貨高をやわらげようとしましたが、逆に金利高がさらに景気に悪影響を与えます。

 

国債暴落による通貨安で外貨債務を返せなくなる


アルゼンチンのドルペッグ制は余剰のドルをIMFが融資する形で成り立っていました。

しかし通貨高による経済の悪化で、IMFは融資をするために財政健全化を求めます。しかし不景気で税収が減ったアルゼンチンにはどうすることもできません。

歳出削減のために公務員削減や年金削減をしようとしますが、ゼネストにより頓挫、IMFは融資を断りました。これにより下がり続けだったアルゼンチンの信用は崩壊し、アルゼンチン国債は暴落、ペッグ制も崩壊し通貨ペソも暴落します。すると今までのドル建て債務は、ペソのドルペッグ制が崩壊したことで凄まじい勢いで増えていきます。

ペッグ制を過信しドル建て債務を取っていたがために、ペッグ制の崩壊による通貨暴落で外貨建て債務を返せなくなってしまったのです。

ついにデフォルト(債務不履行


政府は負債をなんとかしようと緊縮財政を行おうとしますが、労働組合や各種団体がゼネラルストライキを敢行しさらに混乱。結果的にアルゼンチンは2001年11月14日には国債をはじめとした対外債務の返済不履行宣言(デフォルト)を発する事態になります。

アルゼンチンは国家破産状態、経済も崩壊し、国際的信用も無くなりました。当時の日本の地方自治体にもこのアルゼンチン国債で運用していたところもあり、大打撃と話題となりました。

 

国家破産当時のアルゼンチン国民の暮らし

・ハイパーインフレ
国家破産直後のアルゼンチンは通貨安のため物価が上昇するインフレになりました。経済の混乱で多くの企業は倒産、失業率は20%を超えました。倒産しなかったところの労働者の賃金も大きく下がり、人々は物価が上がり賃金が下がるスタグフレーションに苦しめられました。生活必需品は高騰し、食料も値上げに次ぐ値上げが繰り返されました。たとえば小麦などは1ヶ月で60パーセント近くも値を上げるという暴騰ぶりでした。あまりのインフレに通貨ペソの信用が地に落ち、偽札が平気で流通するほどでした。

 

・人口流出
デモや暴動、犯罪なども多発し、アルゼンチンからはマネー、モノ、ヒトが大量に流出していきました。イタリアやスペインに職を求めてアルゼンチンから出て行ったのです。同じスペイン語圏であるスペインは有力な出先であり、今やスーパースターとなったリオネル・メッシもその都合の一人と言われています。また流出した中には医者や弁護士といった国家を支える知識層も多く、アルゼンチンには貧乏人が多く取り残されてしまいます。1980年代にはまだ国民の60%が中流階級でしたが、2005年には20%となり、対して貧困率は50%超えするなど、アルゼンチンは貧乏国に転落してしまったのです。

 

・治安悪化
経済が混乱し、物価が上昇して食料もまともに買えない、お金もない。そんな世界では人々は自暴自棄になって暴徒となってしまうのはどこの国でも同じで、アルゼンチンもそうでした。強盗、殺人、レイプ、悪質な犯罪が増え、特に郊外の家は強盗に遭うリスクが高かったそうです。政府は治安の混乱を収拾できず、短命政権が続きました

 

預金封鎖も実施されていた!


国家破産後2001年12月1日に預金封鎖が実施され、アルゼンチン政府は国民が銀行から引き出せる額を週に上限250ドルとしました。また海外送金も制限され、結果的に国民のお金を強制徴収したようなものです。

当時は年金支払いが滞ったために老人たちが銀行に長い列を作りました。しかし外国系金融機関は大口取引が規制されていないため、12月から1月にかけて150億ドルもの資金をアルゼンチン市場から引き出していました。国民のお金より外国の投資家を守った政府には批判が集中し、経済の混乱に拍車をかけていました。

 

国家破産後のアルゼンチン経済の回復

しかし国家破産後、IMF(国際通貨基金)の融資を受け、変動相場制に移行します。すると今後は通貨安となり、ブラジルと同じく通貨安による輸出競争力が強化され、アルゼンチン経済は復活していきます。通貨安ボーナスといった感じですね。

006年には100億ドルとも言われたIMF債務を全額返済し、経済の復活をPRしました。50%を超えていた貧困層も2011年には15%になるなど、経済も着実に回復していきます。アルゼンチンに限らず国家破産した国のほとんどはこの通貨安によって経済が回復しています。

回復しないのは統一通貨ユーロを導入しているギリシャやキプロスです。通貨が暴落しないため通貨安特需がないのですね。

さらにデフォルト後のアルゼンチンの株価は、デフォルト前には50%近く下落していたが、変動相場制の移行をきっかけに上昇を開始し、新興国ブームにも乗っかって2007年までの5年間で6倍にもなりました。

アルゼンチンがBRICSの後に来るVISTAの1つに数えられていたのもこの頃です。しかしインフレはまだまだ収まっておらず、さらに最近では信用を回復した国債の格付けが再び下落し、信用が堕ちてきているなどの危険な徴候も見られます。なにせアルゼンチンは不景気、ハイパーインフレ、デフォルトを何度も繰り返している日本以上に前科のある国です。

 

2018年に通貨大幅下落、デフォルトでも全然おかしくない

直近では2018年のドル資金本国還流の流れもあって、新興国から資金が大流出しました。その筆頭がアルゼンチンであり、2018年は半年で通貨の価値が半減するというまたしてもインフレに陥っています。政府はなんと「100年国債」という返す気がまったくない国債を発行して資金調達を試みていますが、正直厳しい状況が続いています。

建国以来1827、1890、1951、1956、1982、1989、2001の各年にデフォルトを総計7回起こしている常習犯として知られています。もしかしたら、今後またデフォルトやハイパーインフレを引き起こすかもしれません。2度あることは3度ある。5回繰り返せば、もはや日常になるのですから。

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