昔はよかった、今より昔のほうがいい時代だった
過去を美化するのは人間の無意識的な本能
人には思い出補正みたいなものがあり、自分の過去の部分を美化してしまうことがあります。特に人間というのは悲しいことや辛いことよりも楽しいことや幸せなことのほうを意識的に記憶に残すようにできていると心理学でも分析されています。そのため自分の過去のことがすごかった、強かったみたいな補正がかかってしまうのは本能です。あなたもご自分の過去を思い返してみれば、嫌なことばかりでなく、楽しかったことや思い出に残ったことが数多くあるはずです。特にこの傾向は年齢と共に増加していく傾向があるため、歳が上の人ほど思い出美化傾向が強くなっていきます。一説には、「迫り来る死の恐怖から逃れるため、辛いことを覚えないようにしている」 というちょっとロマンチックな心理があるという学者もいます。
しかし他人から見れば他社の過去話ほど興味がなく、うざったいものはありません。特に過去の話ばかりを自慢する人は、今の、現在のことにおいて自慢できることがない人が多いです。今の自分が誇れない、自信がないからこそ、過去まで否定せずにむしろ美化してプライドを保とうとするものです。特に年齢が言った人の多くがいうのが 「昔はよかった」 という幻想にも似た思い込みです。特に懐古主義者とやや卑下された言い方をされる人は昭和時代がすごくよかったものと思っている人がいます。今は不景気だし、残虐事件も多いし、安定もない、それに比べて昔の昭和は~。ですが、冷静に考えてみれば昭和時代より今の平成時代のほうがはるかによい時代です。
昭和時代のほうがはるかに犯罪が多く凶悪
例えば犯罪件数です。今の時代は殺人事件や少年犯罪がよくTVでクローズアップされます。TVばっかり見ていると、犯罪が増えたように錯覚してしまうかもしれません。しかし実際の犯罪件数をみてみれば、法務省の犯罪白書によると昭和37年の犯罪件数は56万9866人、対して最近の平成22年の犯罪件数はたった8万5846人です。犯罪に対して 「たった」 という言葉を使うのは適切ではありませんが、比較対象の昭和から見てみると、平成時代は驚くほど犯罪件数は減ってきているのです。ちなみに未成年の犯罪件数も昭和時代は抜きん出ています。先ほどの昭和37年の犯罪件数のうち、16万人が少年犯罪なのです。むしろ最近多い凶悪老人犯罪はこの世代が引き起こしていると言ってもいいかもしれません。
また平成時代には加藤被告による秋葉原無差別殺傷事件や、当時中学生だった少年の酒鬼薔薇事件などの凶悪事件が注目されますが、昭和時代にはそれとは比較にならないほとの凶悪猟奇的事件も起きています。犯罪は比較するものではありませんので、どちらも許しがたい犯罪であることは変わりありません。昭和時代の凶悪事件といえば、狭山事件、小野悦男の首切り事件、銀行強盗・帝銀事件、連合赤軍の一連事件、栗田源蔵、日大ギャング事件、福岡連続強盗殺人事件 、金閣寺放火事件、美唄母子強盗殺傷事件、小松川事件、横浜浮浪者襲撃殺人事件、新居浜小6女児殺害事件、名古屋アベック殺人事件、女子高生コンクリート詰め殺人事件など、書いてて気分悪くなるようなものばかりです。リンクは貼りませんので、見てみるかどうかはご自身で判断ください。
結局のところ、今の時代はハッキリ言って昭和時代よりもはるかに平和な時代です。凶悪事件が多いだとかいうのは、マスメディアや情報通信技術が発達して、ニュースが即座に伝わるためです。また逆に犯罪が少なくなったために、数少ない犯罪に注目が集まりやすくなるとも言えます。殺人事件が日常に起こっていたブラジルやコロンビアの一時期は、殺人なんていつものことすぎて報道されなかった時代がありますが、そのようなものです。
今の時代のほうがはるかに便利で楽チン
また今の時代が不景気だ不景気だという人も多いですが、バブルを基準に考えたら何時の時代だって不景気になります。今の時代はハッキリいって不景気ではありません。好景気ではないだけです。多くの人は全く食事には困らないし、インフラが発達してネットでなんでもできるようになったり、公共交通機関で迅速に遠くに行けたり、便利な家電が発明されたりと、どんどん生活水準も上がり便利になってきています。確かに生活水準が上がることで支出も増えるため、収入が上がらない人にとっては金銭的余裕は減ったかもしれません。しかしそれで昭和時代がよいという人は、なぜ生活レベルを落とせばいいだけです。風呂を薪割りにして、洗濯機を使わず手洗いにして、食器洗器も使わず、公共交通機関も使わず、携帯電話もパソコンも使わなければいいのです。なぜそれをしないのでしょうか?生活があるんだから、そんなことはできない!って答えたらもう今の時代のほうがいいって答えているようなものです。
昔の日本人のほうがマナーやモラルがなかった
それでも一部には戦争がいけなかった、戦後の民主教育によってマナーが悪くなったという人もいます。しかしこれも赤っ恥の大間違いです。「昔はよかった」と言うけれど 戦前のマナー・モラルから考える』(大倉幸宏/新評論)によれば戦前の日本人にはすさまじいマナーの悪さ、モラルの欠如が明らかになっています。
まず電車の中のマナー。現在はホームで列を作り、割り込みをせずに静かに電車が来るのを待ちます。出る人が優先で、出る人がいなくなってから入る順番を守ります。一部のバカを除いて優先席にはなるべく座らず、立っている人へ席を譲ったりします。最近では乗客たちが協力して電車に挟まれた人を助けだしたという美談もあります。
しかしこれが1919年の大正時代に遡ると、「無理無体に他を押しのけたり、衣服を裂いたり、怪我をさせたり、まことに見るに堪えない混乱状態を演ずるのが普通であります」という惨状。電車が出発した後も車内はカオスな様子。現在のようにお年寄りや病気の人に席を譲るという習慣はなく、先に座った者勝ちの状態。床には弁当の空き箱やミカンや柿 の皮、ビールや日本酒、牛乳、サイダーの瓶などが捨てられ、ときには窓の外へ弁当箱やビール瓶などのゴミを投げ捨て、線路の保安員が重傷を負う事件もあったという。今は世界中で中国人がマナーを守ってないと言われていますが、当時の文明開化まもない日本だってどっこいどっこいです。
現在、深刻な問題となっている児童虐待も昔だってたくさんありました。戦前の記録によれば、貧しくもないのに息子を学校にも通わせず、家事一切を強制し体罰を続けた父親や、女中と共謀して息子2人を全身に大やけどを負わせながらも幽閉状態にした母親など、虐待例は数多くある。殺害されたケースも少なくなったという話です。なかには0歳の娘を犬小屋の ような箱に寝かせたまま納屋に投げ込んで、5か月間ものあいだ満足に食事を与えなかったというネグレクトの事例もありました。昔のほうが今ほど人権も確立されていなかったために、ひどいケースになりがちだったのかもしれません。
その虐待事件に対して懐古主義者たちは「昔は近所づきあいが濃密だったけれど、今はそれもないから虐待を止められない」と過去を美化しますが戦前だって戦後だって、虐待に気付かなかったり、 知っていても通報をためらったり、単純に見て見ぬ振りをするなど「人間関係の希薄さ」などいくらだってありました。
このほかにも、高齢者に対する虐待や、子どものいたずらの横行、しつけの甘さなど、戦前のモラルのなさを浮き彫りにする本書。こうして見ていく と、日本人のモラルは「もともと低かった」としかいいようがないのです。その後文明が成熟して、教育が行き届いて社会が変わっていってモラルが良くなっていったのです。結局昔がよかったとのたまう人たちは、思考が停止して現実を直視していない懐古主義者にすぎません。昔よりも今ははるかに平和でモラルも良い時代です。そしてこれからの未来をさらにより良きものにしていこうと頑張っている人もたくさんいます。できれば後ろを振り返ったまま前を見ない方は、頑張っている方の邪魔をしないでほしいものですね。