貧しいことは恥ずべきことではない。安住することこそ恥ずべきことである

貧乏から脱出しようとしないで諦める人間は恥を知れ

貧しいことは恥ずべきことではない。
しかし、その貧しさから脱しようと努めず、安住することこそ恥ずべきことである

この名言は、なんと2500年も前の古代ギリシア時代において、古代アテナイの政治家:ペリクリスが語ったものです。その言葉が意味するように貧乏であることは恥ではありません。人間の社会というのはいつの時代でも不平等なものであり、金持ちがいる一方で、貧乏な人間がいるのもまた当然のことです。したがって、必ず社会において誰かが貧乏になるのは避けられないことです。貧乏は恥ではありません。むしろ、人々が嫌がる立場を引き受けている誇るべき人といってもいいぐらいです。

しかし、だからといって貧乏から脱出しようとせず、安住することは非常に醜い行為です。いくら社会に貧乏人がいるのが当然であるとはいっても、そこから脱出しようとせずに諦めてしまっている人は情けないというほかありません。貧乏人や負け組の人には非常にこのように考えている人が多いです。 「時間がないから~」、「親が貧乏だから~」 と何かと理由をつけては、貧乏から脱出することを諦めているのです。夏目漱石も 『向上心のない奴は馬鹿だ』 と言いはなっているように、自らを高める行為、自らの貧しき環境を変えようとしないで諦めている人間というのは、他者からみても非常に醜い人間にしか見えません。

今の日本の貧乏人には、こういった諦めが浸透している

自らを高める行為をせずに諦める人間 ・・・ 今の日本には、貧乏人や負け組の人にこういったタイプの人が非常に多くなっています。やはりそれは、貧しさから脱出しようとする意識、ハングリー精神があんまりないからであると言わざるをえません。今の日本は、格差がひろがっているとはいっても、それなりに豊かな国です。そのためハングリー精神をもたなくとも、それなりに働けば食っていくことができます。他の新興国の人のようにハングリー精神をもたなければ、死んでしまうような環境ではありません。

しかし、だからといって格差脱出を諦めていいなんて理由にはなりません。これからの日本は、どんどん格差がひろがっていって負け組が一生搾取される社会構造へ一直線にすすんでいます。今、格差から脱出をしないと絶望的な将来しか待っていません。それなのに、今の貧乏人や負け組には諦めが浸透しています。一部の貧乏人は、 『自分が貧乏であるのもしょうがない。だから子どもも貧乏でもしょうがない』 と自分だけでなく、自分の子どもにも貧乏を認めて、あきらめてしまっているような人間が増えています。これでは、貧乏であるのも必然です。当然です。当たり前です。今の貧乏人・負け組には、こういった自らを高める行為、自らの貧しき環境を変えようとしないで諦めている恥ずかしい人間が増えてしまっているのです。

あなたはどうですか?
貧乏でもしょうがない、仕方ないと
心のどこかで諦めの心をもってしまってはいませんか?
それを変えないと大変なことになりますよ・・・

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