過去に預金封鎖や預金税、資産税、財産税を検討したケース

預金封鎖、預金税、資産税、財産税、日本でもあった

預金封鎖とは政府が国民の銀行口座を権力で閉鎖し、その預金を徴収するトンデモナイ行為です。別名預金税や資産税ともいわれています。預金を封鎖し、預金に対して税金をかけることを経済学では capital levy (預金税)と言います。なお銀行取引が一般的でなかった昔については、不動産や家畜などの資産への課税が行われてきました。よって預金税というよりも資産税の方がしっくりくると思われます。

過去に日本では昭和21年2月17日に突如として預金封鎖と新円切替が行われました。この日に突然、政府がすべての銀行を封鎖し、個人法人問わず預金引き出し制限を掛けました。さらに今までの旧紙幣を使用を禁止され、旧紙幣に印紙を貼った新円だけが使用を許されることになります。旧紙幣の預金は完全に封鎖され、新円のみを世帯主が300円、家族が100円しか出金することができませんでした。これにより、いくら旧紙幣で預金してようがその資産はほぼゼロになり、政府がコントロールした額のお金しか手にすることができなくなったのです。この預金封鎖の実施により当時の政府は戦時国債による国民からの借金を踏み倒し、かつ復興予算を捻出することができ、その後の日本復興にも確かに役立つ結果とはなりました。

第一次世界大戦前の預金税、資産税、財産税

個人の所有する資産に課税するというのは古くは古代ギリシャ時代から徴税方法として使われてきました。古代ギリシャではときどき数%程度の預金税が徴収されました。古代ギリシャ人は自分の資産を実際より多く見せようという見栄から預金税を喜んで払ったため、預金税は効果的で徴税も成功したようです。しかし今も昔も国民のお金を没収するようなものですから反発も大きく、平時に実行されることはほとんどなく、戦争などの有事のときに軍事費を捻出するための苦肉の策という時でしか使われて来ませんでした。

例えば、ここ数世紀では以下の事例がありました。

17世紀には英国でアーチボルト・ハッチソン議員が10%の財産税を課すことを提案しました。

ナポレオン戦争の時はリカルドが財産税を提唱しました。

19世紀末の普仏戦争のときはフランスの公債の償還時に1%のディスカウントを実施することが検討されました。

同じ19世紀末のドイツは英国との建艦競争に際して預金税が検討されています。

しかし実際にはこれらの預金税は実現しませんでした。国民の反発も大きく、実行は容易ではなかったのです。
第一次大戦後になって、初めて預金税が実際に実行されはじめるのです。

第一次世界大戦後、実際に施行された預金税

第一次世界大戦後になって戦争が引き金となり預金税を施行する国が現れて来ました。これは世界大戦という未曾有の危機によって天文学的な戦争費や社会混乱が引き金となったと言われています。

1920年にイタリアが預金税を実施しました。イタリアは第一次世界大戦で疲弊しますが、戦後登場した社会主義政権はばらまき政策で国家財政を不健全にしました。まるでどっかの国の売国政権のようですね。その政権は食料品などに対する補助金を維持するために「私有財産に対する一回限りの課税」の検討に入ります。そこで考えられたのが富裕層に金利1%の60年債を強制的に買わせる計画です。60年ですから子を飛び越えて孫の代まで借金が続く時間です。満期には当事者など生きてはいません。こんなのジャイアンの 「えいきゅうにかりておくだけだ」 とほとんど同じ財産没収です。小金持ちは財産の33.3%、大富豪は53.33%を強制的にかわされました。

この預金税が発表されると 「国債を買うために土地や家を手放さねばならず、不動産価格が暴落する」 という声が上がりました。また銀行では取り付け騒ぎが懸念されました。このため課税が複雑すぎるのでシンプルな「財産に対する一回限りの税」に変更されたのです。課税額は財産に応じて4.5%~50%でしたが、支払いは20年の繰り延べ払いで良いということになり、実際の課税率は年率0.225~2.5%になりました。ただ、実際には何年にも渡って徴税されたため、一回限りのわけがありません。

一方、第一次世界大戦後のチェコスロバキアでも預金税が実施されました。私有財産に対して3~30%が課せられ、企業の資産に対しても3~20%の課税がされました。チェコスロバキア政府はこれらの課税に概ね成功しました。なぜなら当時のチェコスロバキアにはドイツ系を始めとして複数の人種がいりまじっており力を合わせての抵抗ができなかったこと、さらには金融市場が他国と隔絶されて、資産を国外に持ち出すことができなったことが理由と言われています。

また預金税を実施しようとしならが失敗した例もあります。1919年にオーストラリアで当時財務大臣のジョセフ・シュンペーターは預金税を提案しますが、誰に最も負担を強いるか?という議論が紛糾し、実現しませんでした。また課税を予期した裕福層の資本が、国外へ資本逃避を起こした事も、預金税を困難にしただけでなく、ハイパー・インフレを誘発する結果となりました。チェコスロバキアとは真逆の結果となっています。

また他にもハンガリー、ドイツ、フランス、英国でも第一次大戦後、預金税の議論がありましたが、いずれも頓挫しています。

近代での預金封鎖、預金税、財産税

預金税、預金封鎖はけっして遠い昔のことではありません。今の時代にも実際に行われているのです。1990年にはブラジルにおいて一定額の預金引き出しが制限されるコロールプランが行われました。これは年間5000%にもなるハイパーインフレを沈静化させるために行われたもので、日本の預金封鎖と同じ理由です。しかし日本とは違いインフレを収めることができずに、逆に大量の企業倒産と失業者を生むことになり、大失敗に終わっています。

2001年アルゼンチンにおいても銀行の預金封鎖が行われました。アルゼンチンは同年債務不履行:デフォルトしており、日本でも地方自治体がアルゼンチン国債を保有していて多額の損失を被りました。2002年ウルグアイでも同様に預金封鎖が行われています。どちらの国も預金封鎖が行われるときはインフレがひどく、企業が倒産し大量の失業者が出る社会不安を引き起こしています。

2013年には地中海の小国キプロスにて預金封鎖が突如として行われました。キプロスは上述の国と同じくデフォルト寸前であり、EU加盟国のためECBに救援を求めた所、この預金税を迫られたのです。少額の預金者には10%、大口の預金者には15%の預金税を強制的にかけられて、銀行は取り付け騒ぎに合って大混乱しました。またキプロスにおいては時代を反映して、ネット上での資金移動に関しても制限する措置がとられて、銀行のお金が完全に動かせない事態となっていました。

このように近代においても預金封鎖、預金税はいつどこの国で実施されてもおかしくないのです。なぜなら世界中のほとんどの国が返すことができないほどの天文学的な借金をかかえており、ひとたび社会不安でも起こって政府の手に負えないレベルにでもなれば、国家は国民のお金に手を出す可能性を否定出来ません。

同ジャンルのリンク

 

Copyright© 2017 格差脱出研究所 All rights reserved
ラベル 格差脱出には今しか無い!